解   説

現代邦楽というコトバの、適切な定義はまだ定着をみない。わが国の楽界に認知され、行政機関でも公式につかいだして、まだ数十年にすぎない。邦楽界ではこのコトバを、どうやら日本楽器の前衛的現代音楽、と受けとめているところがある。逆に洋楽界では、日本楽器の伝統的な使い方以上ではない作品群、とみているかのようである。

とりあえず、現段階で現代邦楽の定義をこころみてみると、日本音楽の伝統美、伝統の技を、現代の芸術的枠組みの中で再構築したり、日本楽器の原初的な音風景にアプローチしたり、あるいは先駆的な手法による、未知の音の発見と表現の拡大が、あらたな伝統の創造につながっていくような作品群、ということになろうか。

また作品の内容という点からみると、現代邦楽には日本楽器によるさまざまな楽器編成の器楽作品がおおい、ということができる。器楽作品への傾斜は、宮城道雄、四世杵屋佐吉以来の、80年にもおよぶ創作活動において、なかば伝統になりつつある。

歌と不可分な関係の中で伝承されてきた日本音楽は、明治の洋楽伝来以来、自らの近代化を推しすすめるためには、声からの楽器の独立、解放が不可避である、とかんがえた。その伝統は、21世紀のこんにちもなお優勢である。そのことを明解に示すものの一つに、創作活動のための楽器改良と新楽器製作がある。いまや現代邦楽に不可欠な楽器となった宮城道雄制作の十七絃、さらに50年代の三十絃、60年代の二十絃箏、90年代の二十五絃箏と、現代邦楽専用の楽器の誕生が相次いだ。

さらに器楽作品へのつよい志向は、さまざまな楽器編成による合奏曲の誕生をうながした。地歌・箏曲における三曲合奏の、現代における展開ともとらえられる尺八、箏、三絃、十七絃、あるいは、三絃のかわりに箏二面にした四重奏は、もっとも安定したスタイルとして、ひろく演奏され愛好されている。

その一方で、あたらしい声の作品、声楽曲の開発は、遅々として進まない。作曲家側にも、演奏家側にも、開発に必要な要件が山積している。最大の難関は、テキストにある。

NHK は、戦前戦後を通じて、伝統音楽のみならず新作の開発にも積極的にとりくんできた。とくに第二次大戦中は、当時人気のあった「新日本音楽」とよばれる、箏、尺八を中心とする作品群を紹介する番組をつくっていた。さらに戦後は、出番を控えていた三味線の器楽作品が大量に加わり、番組内容が多彩となった。ちょうどそのころ、現代邦楽の名がNHK のラジオ番組にあらわれる。昭和22年(1947)4月20日(日)9時45分から10時までのラジオ第1放送「現代邦楽の時間」が、それである。毎週1回15分のこの番組名は、その年の秋までつづき、その後たびたびの名称変更の末、昭和24年(1949)秋まで、なんらかの形で残る。

昭和30年(1955)は、現代邦楽にとって記念すべき年である。NHK が、次代の若手邦楽演奏家育成の事業にのりだしたのである。NHK 邦楽技能者育成会がそれである。教育方針の固まる昭和37年(1962)には、五線譜による演奏技術の統一向上と現代邦楽の演奏指導が、明確にうちだされた。邦楽の流派・種目を越えた若い邦楽演奏家が受講し、昭和39年(1964)以降、毎年約40名が巣立っていった。現在の現代邦楽の演奏家の大部分は、この育成会出身者である。

こうして現代邦楽演奏家の陣容がそろい、日本楽器ではじめて作曲する作曲家が進出しだした昭和39年(1964)春、「現代の日本音楽」がはじまる。この番組誕生の背景には、創作作品への意欲をうしなわず、一貫して放送しつづけてきた先輩たちの、ねばり強い取り組みがあった。

この番組は、創作作品の基盤を狭義の邦楽に置くのではなく、トータルな日本音楽観の上に置いて作品開発を目指す、という提案趣旨から、「現代の日本音楽」の題名がつけられたという。「現代邦楽」から「現代の日本音楽」への交替は、やがて名称以上の重みをもつことになる。

「現代の日本音楽」の特色を、作曲家と演奏家についてみてみると、洋楽畑の作曲家の積極的な創作活動と、現代邦楽専門の演奏家、グループの誕生につきる(巻末「演奏団体・グループ略記」参照)。1960年代から1970年代にかけてのいわゆる洋楽畑の作曲界の動向と、現代邦楽の動向が無縁であろうはずがなく、彼らは日本楽器に次々とあたらしい音、あたらしい奏法を要求してきた。伝承された奏法の限界を越え、楽器の性能以上のものを要求した作曲家との度重なる交流から、現代邦楽演奏家は、確実に力をつけ感性を磨いてきた。現代邦楽80年の歴史の中で、この時ほど日本楽器をめぐって、洋・邦両者が真正面に向きあったことはなかった。その結果、現代邦楽を専門とする演奏家、グループの結成が促進され、活発な演奏活動が展開されることとなった。

また当時の若いすぐれた演奏家によって開発されたさまざまな奏法は、古典の奏法に裏打ちされながらも、あたらしい音楽創造のための技として伝承され、発展し、次世代の伝統となりつつある。

本資料の現在における意味があるとするなら、ややもすると実態のあいまいさのままひとり歩きしている現代邦楽の、ある時期におけるたしかな記録の開示であり、現在も活発に活動する演奏家、作曲家に、なんらかの背景を提供することであろうか。